木造綱敷天神坐像
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更新日:2024年2月19日
梅林寺
平成5年登載
曹洞宗花嶽山梅林寺は、はじめ小塚原(現・荒川区南千住)にあり、龍源寺と称していました。本像は、もと下総里見氏の鎮守で、慶長の里見家没落の際、家臣が下総平井村(現・江戸川区平井)に移し、やがて小塚原に祀られ、17世紀中頃に伊勢亀山藩士が、主君の病気平癒祈願のため、小塚原の本像とともに龍源寺を現在地に移し、梅林寺と名を改めたといわれます。安政大地震で、天満宮祠は全壊し、大正4年の勧進により建立、昭和42年本堂に移され現在に至ります。
本像は、ヒノキ材製で、像高20.8センチメートル、髪際高17.1センチメートル。束帯姿で、口をやや開き、顎髭を垂らし、眼をいからして綱座に坐る珍しいものです。室町時代末期に制作されました。
当寺には、九州で菅原道真が、綱座を勧められ我が身の哀れを嘆いたところ、土地の者が「これは帆綱で自分には命綱だから都の敷物に決して劣らない」と諌めたという伝承があります。綱敷天神はみな忿怒形をしており、不遇に対して怒る道真を現します。しかし、江戸時代後期には、為永春水作・園の花によると、梅林寺綱敷天神を除災招福の神として信仰するように変わったことがわかります。
木造綱敷天神坐像
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