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木造十二神将立像

ページID:895577240

更新日:2024年2月19日

寛永寺
平成22年登載

 十二神将は、薬師如来や薬師経を信仰する人々を護る武神で、薬師如来の十二の大願に応じてそれぞれが、十二の時、月、方角を護るとされます。そのため各神には十二支があてられています。
 本像は、ヒノキ材、寄木造で、元禄15年(1702)に鎌倉仏師のひとり新井進四郎が制作しました。鎌倉仏師は鎌倉に仏所を置いて、東国で活躍しました。とくに、江戸時代になると、鎌倉仏師の中には、後藤姓や三橋姓等を名乗る仏師が現れ、仏師民部のように、広く活躍した仏師もいます。
 寛永寺の根本中堂には、創建時に円仁作と伝える十二神将像が立石寺(山形県)より移され、安置されていました(『東叡山諸堂建立記』)。しかし、上野戦争の混乱によって焼失し、明治初年には本像が寛永寺にもたらされ、安置されたと考えられます。
 本十二神将立像は明治初期に、上野戦争で焼失した木造十二神将像の代わりに、寛永寺根本中堂に将来された像で、制作年代と制作者が明らかであり、鎌倉仏師のすぐれた技量を示す基準作例として重要です。

お問い合わせ

生涯学習課文化財担当(生涯学習センター)

電話:03-5246-5828

ファクス:03-5246-5814

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