木造聖徳太子立像
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更新日:2024年2月20日
報恩寺
平成30年登載
報恩寺は高龍山謝徳院と号する、真宗大谷派に属する寺院です。親鸞の弟子で、二十四輩の筆頭(第一)性信の遺跡として、古くから「坂東報恩寺」の名で知られています。性信が建保2年(1214)に下総国飯沼郷横曾根(茨城県常総市)に道場を開いたのが当寺の創建と伝えます。建治元年(1275)に性信が没すると、次第に衰微していきましたが、慶長7年(1602)に江戸桜田(千代田区)に移転、再興しました。その後、八丁堀(中央区)、広沢新田(台東区)と移転を重ね、文化7年(1810)に当地へ移りました。
本木造聖徳太子立像は、ヒノキ材製、割り矧ぎ造り、玉眼を嵌入しています。大きさは総高134.5センチメートル、像高113.4センチメートルです。
本像は、太子が16歳の時に父用明天皇の病気平癒を祈願したという説話に基づいた姿をあらわしています(孝養像)。孝養像は両手で柄香炉を持つ形が一般的ですが、右手で笏を執り、左手に柄香炉を持つ形もあります。とくに後者は、真宗寺院において多く見られます。本像は、持物を失っているものの、両手の形状から右手に笏を握り、左手は柄香炉を持ち、左袖を執る姿をあらわしていたものと考えられます。また、角髪は独特の形をしていますが、鎌倉時代前期の制作とされる光了寺(茨城県古河市)の松葉太子像(七歳像)に類似します。
本像は、報恩寺が創建された横曾根(茨城県常総市)の地にあった時から、当寺でまつられてきました。その像容は、真宗に特徴的な孝養像で、造形は堅実な彫技によって表現されています。また、作風や技法から、鎌倉時代の制作と考えられ、区内はもちろん都内でも最古の作例に属し、優れた作品のひとつとして重要です。さらに、当寺の信仰や歴史を裏付ける資料としても貴重です。
木造聖徳太子立像
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