木造大黒天立像
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更新日:2024年2月19日
護国院
平成17年登載
本大黒天立像は、ヒノキ材の寄木造で、像高は74.5センチメートルあります。
若貌で頭巾を被り、左手は肩に掛けた袋の口を握り、右手は小槌を執る、定形化した姿をしています。両足をやや開いて俵の上に立津姿をしています。
本像の像内に残されていた造立願文(現在は取出して別に保存)によると、正徳4年(1714)10月に仏師・幸慶が、現在、像内に納められている木造大黒天像(最澄作と伝える)を写して制作したものであることがわかります。
幸慶は、神田鍛冶町に住した仏師で、関東真言律の総本山である霊雲寺(文京区湯島)の仏師を名乗っていました。また田安宗武の命によって愛染明王坐像(鹿沼市正蔵院蔵)を制作するなど、徳川家との関係もみられ、当時は名の通った仏師であったと考えられます。現在確認されている幸慶の作品は、本像を含め七件が知られています。享保十四年(1729)銘の東照権現坐像(栃木県日光市)が最も早い作例として知られていましたが、本像はそれを15年ほど遡る作品であることがわかりました。
本像の造立当初は、清水堂の脇に安置されていましたが、明治初年に護国院に管理が移されて以来、護国院の本堂に安置されています。また、江戸時代後期より谷中七福神のひとつとして庶民の崇敬を受け、現在にまで及んでいます。
当時代の基準作例となると同時に、区内の信仰史、文化史を明らかにする上で貴重な作品です。
木造大黒天立像
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