木造阿弥陀如来坐像(光明寺)
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更新日:2024年2月19日
光明寺
平成27年登載
光明寺は、摂取山遍照院と号する浄土宗寺院で、慶長6年(1601)の起立と伝えます(『蓮門精舎旧詞』)。開山の学蓮社善誉万応(寛永12年[1635]寂)は、もと駿府(静岡県静岡市)の遍照山新光明寺の第八世でしたが、のちに江戸田所町(中央区)に当寺を創建し、まもなく当地へ移転したようです。大正15年(1926)には西光寺と合寺して、寺号を現在の光明寺としました。
本阿弥陀如来坐像は、像高が22.9センチメートル、髪際高は20.3センチメートルあります。肉付きのない扁平な胸、彫りが浅く並行して流れる衣文等に、平等院鳳凰堂(京都府宇治市)の本尊、木造阿弥陀如来坐像に代表される、定朝様の影響を受けた正統的な作風がみられます。しかし、面相は丸みを失っていることや、衣文が形式化していることなどから、平安時代後期(12世紀)頃の制作と思われます。
なお、現在は本像とともに、以下の極書が伝えられています。
「 中島紋治氏蔵
一、木彫阿弥陀如来座像高サ七寸一分
右ハ恵心流ニシテ最モ優秀ノ製作ナリ。
時代ハ藤原初期ト認ム。稀ノ尊像ナレハ
大切ニ御保存可被成候也。
昭和三年三月吉日
従三位高村光雲誌(印)(印)」
これによって、本像が、もともと当寺檀家の中島家の所有に係る像で、昭和初年に高村光雲によって鑑定されたことが知られます。
本像は、区内に現存する定朝様式の阿弥陀如来像のひとつとして貴重です。
木造阿弥陀如来坐像(光明寺)
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