谷中三崎町遺跡出土縄文土器
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更新日:2024年2月20日
台東区教育委員会
平成15年登載
谷中三崎町遺跡は上野台の西縁に立地し、旧石神井川(現・藍染川)によりつくられた根津谷(不忍通りの谷)に面している、縄文時代から近世の遺跡です。平成12年に実施した妙法寺境内地における発掘調査によって縄文時代の遺構や近世の墓・地下室などが発見され、近世の甕棺・蔵骨器やその副葬品及び陶磁器等のほかに、縄文土器がかなり出土しています。本品はその遺構内から出土した縄文土器であり、縄文時代中期後半(約4500年前)の加曽利E式土器と呼ばれているものです。胴部下半部を欠損し口縁部も約4分の1欠けていますが、胴部上半部はほぼ一周しています。
形態は、口縁部頂端(口唇部)が平縁で大きく湾曲しているキャリパー型の深鉢です。頚部を除き全体に地文として、撚糸文、無節縄文(玉がない縄目)を巡らし、その上に、口縁部は口唇部と頸部との境に隆帯(粘土の帯)が巡り、その間に隆帯による横S字状文を推定5カ所まわし、その先端で各々を結合しています。しかし、通常の横S字状文は長さが約20センチメートルあり、先端も蕨手になっていますが、1か所は長さが約5センチメートルしかなくほぼ直線的で、曲がりも弱いです。結合部から2ないし3本の細い隆帯が垂下しています。頚部と胴部の境には三条の沈線を巡らせ、沈線は両端をずらして下方に反転させています。胴部は縦に沈線による波状文を4か所垂下しています。大きさは口縁部径(復元)約26センチメートル、現存器高約17センチメートル、頚部径約19センチメートルとなります。
本品は、区内で出土した縄文時代中期の土器のなかで唯一形状が復元されたものであり、また遺構との関係が判明しているという点でも貴重です。さらに出土地の近くには、同じ縄文時代中期後半の領玄寺貝塚がみられ、本品との関連性も考えられ、遺跡の広がりを推定する上でも重要な資料です。
谷中三崎町遺跡出土縄文土器
横S字状文(短い部分)
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