台東区入谷遺跡下谷二丁目1番地点出土近世資料 一括
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更新日:2024年2月20日
台東区教育委員会
平成24年登載
入谷遺跡は、上野台東方の低地に立地する遺跡です。今までに2回調査を実施し、近世町屋・寺院関係が発掘されています。江戸時代、当地は豊島郡坂本村といい、西には寛永寺境内地が広がり、日光街道沿いに東叡山領の町屋や寺院等が連なっていました。本遺跡地には近世後期に浄土宗良感寺が所在していました。
当地周辺では近世後期から近代にかけて「入谷土器」という植木鉢や灯明具等を生産していたようです(「東京府史料」)。また1730年代頃、京焼陶工の尾形乾山が下向して作陶したようで(入谷乾山)、当地に記念碑が建てられています。
出土遺物は、瀬戸美濃産・肥前産・京信楽産、淡路みん平焼系等の陶磁器、江戸在地産の土器・瓦・土製品の他、漆器、木、金属製品等があります。時期は主に18世紀後半以降です。特徴的な遺物に、施釉土器の土鍋等の生活道具や玩具的な徳利等があり、徳利には刻字で「いりや」とあります。さらに無釉の土鍋・土瓶・灯明具や特殊な板・棒・鉢・四角錐状の土器が出土しています。土鍋には「樂」銘の刻印があります。特殊な土器は、焼き物の生産道具のようで、四角錐状土製品は、窯道具の「色見」に類似します。これらは「入谷土器」生産に関係する資料と考えられます。木製品では板状に墨書で片面に「思事叶福助」、他面に「納戸かぎ」、円形状に墨書「納豆宗慶寺」や「坂本入谷村/願主源八/内」等が見えます。「福助」銘の木製品は納戸の鍵の柄と想定され、福助人形に繋がるまじないを示すと思われます。また円形状木製品は納豆の容器と推定されます。
本資料は、江戸時代の生活の多様な面を示すものであり、現在にも繋がるまじないの資料である墨書木製品等興味深い内容が見られ、特に「入谷土器」に関係する資料は、忘れられていた台東区内の産業に関わる貴重なものです。
出土資料
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