天王寺五重塔跡出土の舎利容器及び経筒
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更新日:2024年2月20日
天王寺
平成17年登載
天王寺(旧感応寺)の五重塔は、正保元年(1644)7月に創建されましたが、明和9年(1772)2月29日の「目黒行人坂の火事」で焼失し、改めて寛政3年(1791)に再建されました。その規模は、総高約34.2メートルであったと伝えています。関東大震災や戦災等からも被災を免れ、谷中のシンボルとして親しまれていましたが、昭和32年7月6日、火災により焼失してしまいました。
本舎利容器及び経筒は、焼失後に塔心礎とその周囲の礎石中から発見されました。心礎から出土した銅経筒には、紺紙金字経一巻と金銅舎利容器が一点納入されていました。また、四天柱および側柱の礎石中より出土した銅経筒は八点で、各経筒内にも経巻が一巻納入されています。
舎利容器と経筒は、五重塔再建の際、礎石中に安置されたもので、経典の奥書によると、沙門覚□が書写し、仏舎利などと共に奉納したことがわかります。
経典の奥書や出土状況から、寛政年間の五重塔の再建経過を知ることができ、天王寺の歴史の一端を明らかにする重要な資料です。同時に、近世の寺院建築における鎮壇にかかわる儀礼などを明らかにする上でも貴重です。
五重塔跡出土の銅経筒
金銅舎利容器
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