谷中三崎町遺跡(正運寺跡)埋葬関係資料 一括
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更新日:2024年2月20日
台東区教育委員会
平成16年登載
谷中三崎町遺跡は、上野台が荒川区につながるくびれ部に位置した西側、不忍通りの谷(根津谷)に面し、谷中小学校の東方に立地しています。平成11年5月から7月に三崎坂に面した近世寺院跡において発掘調査が実施され、墓所跡と大型地下室などの庫裏跡が発見されています。墓所跡では、約300平方メートルと推定される墓域のほぼ全域を調査し、幕臣などを埋葬した甕棺や庶民用の木棺など、約350の墓が発掘されています。当地の近世寺院跡としては切絵図から日蓮宗正運寺と想定されますが、本寺は17世紀末頃(元禄年間)に当地に移転し大正頃に廃寺になったようです。
出土品は埋葬関係と日常品が主であり、埋葬関係としては埋葬施設用の埋葬容器とその蓋、及び副葬品、さらに墓標に分けられ、大半が江戸時代のものです。そのほか少量ながら縄文時代から古代の土器もあります。そのうち埋葬容器とその蓋、副葬品が登載の対象になっています。
埋葬容器としては、土葬用の甕棺や土器転用棺、円形木棺(早桶)、方形木棺等と火葬用の蔵骨器(陶磁器製)が出土していますが、台地上のために木棺は腐朽していました。特記されるものとして、甕棺の石製の蓋3基には墓誌が確認され、幕臣井戸氏の墓と判明しました(233号墓・245号墓・323号墓)。そのうち233号墓と323号墓は妻女であることがわかります。
副葬品には貨幣(念仏銭など)、祭祀用具、玩具類、装飾品、嗜好品、化粧道具、文房具類その他があります。特記されるものでは、被葬者に掛けられていた南無妙法蓮華経と墨書されている布袋(中には櫛・数珠・歯などが入っている、300号墓)、幕臣であり儒学者でもある井戸甘谷を示す井戸・□齋、方敬の銘がある印鑑2点や硯等のセット(34号墓)、裏面につね、あるいは常の墨書がある京都系土面56点やミニチュア茶道具のセットなどがあります(67号墓)。ちなみに67号墓の被葬者は小児の女性です。
本資料は近世寺院の埋葬全体がほぼわかるだけではなく、被葬者には幕臣井戸氏の名も判明し歴史的にも重要であり、さらに豊富な副葬品は被葬者を解明する上においても貴重なものです。
谷中三崎町遺跡67号墓副葬品
谷中三崎町遺跡34号墓副葬品
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