谷中三崎町遺跡(正運寺跡)第34号墓出土埋葬資料
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更新日:2024年2月20日
台東区教育委員会
平成30年指定
本資料は、江戸時代寺院である日蓮宗正運寺境内の墓所跡からの発掘品であり、平成11年5月から同7月に台東区文化財調査会が実施した発掘調査の出土品です。
第34号墓は方形木槨甕棺墓で、上部を破壊されて発見されています。木槨と甕棺の間に炭化材が充填されていましたが、木槨は残りが悪く、甕棺も上部を欠損しています。埋葬人骨の遺存も部分的であり、頭骨や複数の顎骨が確認され、頭骨は男性、顎骨は性別不明ですが、熟年以上と鑑定されています。
副葬品は、毛抜きがさび付いて一部欠損している以外に状態は良好です。甕棺は胴部下半のみです。印章には刻字で、一点には片面に「方敬」、もう一点には両面に「井戸」「□齋」とあります。埋葬年代は甕棺等から18世紀後半頃と推測されます。
正運寺は、慶長5年(1600)「谷中東寺町」に起立し、調査地には元禄年間に移転し、大正時代に廃寺となっています。
『儒者名鑑』等に谷中正運寺に埋葬されている著名人として「井戸甘谷」がみられます。本名(諱)を「方けい(敬の下に心)」といい、「先隊衛士」で文人(儒学者)とあり、没年が寛延3年(1751)、室鳩巣の弟子とあります。
印章の「方敬」が文献の「方けい(敬の下に心)」に対応しており、埋葬年代と没年がほぼ一致しています。また硯・印章など文人的な副葬品、人骨等の状況等から、本資料の被葬者が儒学者の「井戸甘谷」に該当すると判断されます。
調査では、他にも井戸氏の墓誌を出土する埋葬があり、墓誌には役職として「先隊衛士」ともみえ、本寺は井戸氏の菩提寺と推定されます。井戸氏は譜代大名や旗本・御家人が知られ、「先手組」鉄砲組に関係する井戸氏がみえ、「先隊衛士」の井戸氏が該当すると推測されます。
本資料は、古記録にもみられる武士・文人であり、谷中にも在住していた著名な儒学者である室鳩巣の弟子である「井戸甘谷」の埋葬関係資料として興味深く、保存が良好な点からも貴重です。
なお本資料は、平成16年登載の、谷中三崎町遺跡(正運寺跡)埋葬関係資料の一部です。
第34号墓出土遺物(硯、印章、毛抜き)
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