彰義隊墓碑
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更新日:2024年3月1日
個人
平成3年登載
彰義隊墓碑2基が建つあたりは、慶応4年(1868)の上野戦争の激戦地と言われ、のちに三ノ輪円通寺(現、荒川区南千住)住職仏磨が彰義隊戦死者を荼毘に付した所です。
墓碑のうち1基は、「彰義隊戦死之墓」と刻む小碑で、総高71.5センチ。明治2年、寛永寺寒松院と護国院の住職が、この地に埋納したものです。正面の「沙門松国」とある銘文は、両院の1字ずつをとった名で、明治新政府を憚ったさまが窺えます。
その背後に建つ「戦死之墓」は、757.5センチの大きな碑です。元彰義隊士小川興郷らが、明治14年に明治政府の許可を得て造立しました。「戦死之墓」の銘は、山岡鉄舟の書です。小川らの目的は、政府許可の大きな墓碑を建てることで、彰義隊に着せられた「朝敵」の汚名を拭い去ろうとしたことにあります。
この両碑は、彰義隊戦死者荼毘の地を示すとともに、彰義隊を巡るさまざまな人々の動向を伝えてくれる、貴重な歴史資料です。
彰義隊墓碑
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