谷素外寿碑
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更新日:2024年2月27日
慶養寺
平成27年登載
谷素外は、江戸時代中・後期に活躍した俳人です。享保18年(1733)大坂鰻谷の商家に生まれ、壮年のころ江戸に下り、神田お玉ヶ池に住居しました。俳諧は、初め涼袋(建部綾足)門でしたが、その後、江戸談林派の小菅蒼孤(1712~1766)について、一陽井素外と号しました。師亡きあと、江戸談林七世を称し、西山宗因(1605~1682)に始まる談林俳諧の興隆に尽力しました。中村仏庵・山本北山・沢田東江・加藤千蔭・柳亭種彦など、多くの江戸文人と交友があり、門弟には、大名や浮世絵師も名を列ねています。文化6年(1806)喜寿を迎えて、娘の素塵を独立の点者として、自身は著述に没頭しました。文政6年(1823)2月8日没。91歳。
本寿碑は文化6年、素外の喜寿を記念して、娘の素塵をはじめとする門弟が慶養寺に建立したものです。総高145センチメートル。現在の台石は後補です。正面には、素外が素塵に与えた自筆により、「墨水四時」と題し、隅田川沿岸、待乳山・橋場・庵崎などの情景を詠んだ四句が刻まれています。側面には寿碑建立の由来を記し、発起人などの名があります。
墨水四時
春年々此辺花の都鳥 石山の
夏おもはるれまつちやま
ことゝはむ鳥もゐすはし場あしの
花 興月に帰るや雪の庵崎を
一陽井七十七翁素外
文政6年2月、素外死去により同寺において葬儀がおこなわれ、墓碑が建立されました。同年4月には、寿碑の裏面に、素外の詳細な履歴が追刻されています。
素外一門は『梅翁宗因発句集』をはじめ、談林派の先人を顕彰する書物を多数出版するほか、各所に石碑を建立し、句額を奉納してきました。本寿碑もまた素外の事蹟を示すものであり、一連の書物・石碑・句額による談林派の顕彰の中に位置づけられます。素外の伝記に関する基本資料であるとともに、江戸談林派の活動を示す貴重な歴史資料です。
谷素外寿碑
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