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関東大震災復興区画整理完成記念碑

ページID:994324293

更新日:2024年2月27日

台東区
令和5年登載
 
 本碑は、大正12年(1923)の関東大震災の後に実施された帝都復興土地区画整理事業のうち、東京第31地区の区画整理完成記念碑です。区画整理の対象として東京市とその周辺の焼失区域には66地区が設定されましたが、第31地区は当時の下谷区の一部と神田区の一部からなっていました(現在の台東区台東一丁目・同二丁目・同三丁目・同四丁目・上野五丁目・秋葉原、千代田区神田松永町・神田練塀町・神田佐久間町一丁目・外神田一丁目などにかかる地域)。同地区の土地区画整理委員として20名の地域住民が選出され、大正13年(1924)から昭和4年(1929)にかけて、区画整理に関する各種の諮問案について審議・答申しました。この区画整理により、同地区における整理前の宅地面積の約2割が、街路や公園などの公共用地に充てられています。
 本碑がある台東区立御徒町公園は、関東大震災以前は元伊予国大洲藩主、加藤泰秋子爵の屋敷でした。震災後、内務省復興局東京第三出張所が置かれ、下谷区・浅草区・本郷区・神田区(一部)における復興事業を管轄しました。同出張所の廃止後、跡地は公園用地となり、東京市立御徒町公園が昭和6年(1931)8月に竣工、9月1日に開園しました。
 本碑は同公園の竣工・開園にあわせて制作・設置されたものです。碑の正面には区画整理完成之碑とあり、背面右には東京第31地区の土地区画整理事業の概要を記しています。幹線第1号・同第22号(現在の昭和通り・蔵前橋通り)をはじめ、地区内には新規の用地を必要とする施設が多く、事業は困難なものであったが、土地区画整理委員会の公正な審議と地区民の協力によって事業が完了したことが記されています。背面左には土地区画整理委員22名の氏名を記し(故人を含む)、末尾に書家と石工の名があります(鞍谷清・石長)。
 本碑は地域住民の協力により震災復興事業が完成したことを示す貴重な歴史資料です。


関東大震災復興区画整理完成記念碑

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生涯学習課文化財担当(生涯学習センター)

電話:03-5246-5828

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