玉露童女追悼集 附 木造玉露童女坐像、玉露童女書状
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更新日:2024年3月1日
浅草寺
平成28年登載、同31年指定
玉露童女追悼集は、池田定常(松平冠山)の娘、露の追悼のために多くの人々が寄せた句、連句、歌、長歌、漢詩文、画、追悼文、墨跡等を、定常が娘の供養のために全30巻(うち第7巻を失う)に仕立て、露が日頃より篤く信仰していた浅草寺に奉納したものです。現存する29巻には1,636種の作品(うち1点逸亡)が収載されています。
浅草寺に奉納された時期は明らかでありませんが、本追悼集が成立した文政8年(1825)頃以降より定常が没した天保4年(1833)の間と推定されます。
作品を寄せた人物は、松平定信、水野忠邦や松浦静山、鳥居耀蔵など、幕府の老中や他藩の藩主といった政治家や役人をはじめ、屋代弘賢、伴信友、中山信名、亀田鵬斎、大窪詩仏、酒井抱一、狩野晴川院などの学者や歌人、俳人、絵師、寺院の住職など、当時の一流の文化人たちであり、なかには商人や職人などの作品も多数見られます。また、女性の作品が多いことも特徴で、さらに幼女の追悼ということからか幼年者の作品も散見できます。
本追悼集は、池田定常を中心とした文化人の交友が明確になるとともに、目的を一にした当時の文化人等の作品1,600点以上を縦覧することができる重要な資料です。さらに歴史上叙述されることの少ない、小児の生涯を伝える資料であり、当時の児童教育を知るうえでも貴重です。
木造玉露童女坐像は露姫の肖像彫刻です。文政11年(1828)2月7日、父定常が浅草寺に娘の木像の安置を申し入れたところ、本堂内の愛染明王脇に安置されたとあり(『浅草寺日記』)、本像の奉納時期が知られます。
玉露童女追悼集
玉露童女坐像
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