印半纏染め
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更新日:2024年5月27日
林 満治
平成10年指定(同21年保持者死亡により解除)
藍染めは、古代から連綿と続き、江戸時代には全国的に普及し、農村部も都市部にも満遍なく紺屋が存在していました。特に江戸後期には、大工や左官など屋外で作業をする職人が、紺屋で染めた印半纏を腹掛け・股引・足袋と合わせてユニフォームとして着るようになり、幕末から明治時代にかけて江戸・東京中に普及しました。
林満治さんは、明治34年に創業した紺屋・海老屋の3代目当主です。昭和15年2月9日、根岸で生まれました。100年近くにわたって藍甕を用いる伝統的な手法を守り、紺屋が東京に数軒という現状では、貴重な職種となっています。満治さんは、2代目である父敏治氏(故人)より技術を伝承し、また4代目に当たる賢治郎さんに技術の伝承を行っていました。仕事場は、極端に細長い庭や作業場・干し場、地中に埋めた藍甕などの景観が、江戸・明治の生活に不可欠であった紺屋全盛期の姿を彷彿とさせます。
紺屋の白袴、紺屋のあさってなどと諺に使われたことからもうかがい知られるように、紺屋=藍染め職人は最も身近な職業です。林満治さんは、今では数少なくなった紺屋・海老屋を営み、江戸以来の伝統がある印半纏染めの技術を有する紺屋の一人として貴重でした。
印半纏
海老屋染工場
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