銅壺作り
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更新日:2024年5月28日
星野 昇
平成5年指定 (同26年保持者死亡により解除)
銅壺とは、長火鉢の灰の中に置き、その中に水を入れ暖めて常時湯をわかしておくためのものです。明治時代から戦前まで、家庭の日常生活に欠かせない必需品でした。
はじめ銅壺の形態は、江戸時代後期の随筆によると、火鉢とセットになる調度品としてではなく、つくりつけの銅製の竈として登場しました。竈の熱で湯をわかし、洗濯や口すすぎに利用したのです。これは江戸にのみ現れ、京都・大坂では銅製の竈はありませんでした。
銅壺は、やかんなどと同じく、金床の上で銅板をたたきながら形を整えていくもので、最後の仕上げとして用いられる技法・煮色付けは、銅やほかの金属を配合し、水を足した溶液の中で煮て色を付けるもので、江戸独特のものです。
星野昇さんは、大正14年、浅草の銅壺屋・銅銀の長男として生まれ、昭和20年から本格的に家業に励み、父・銀次郎氏とともに銅壺製作を行いました。また、銅壺と必ずセットになる火鉢の内側部分にあたる火鉢の落としも盛んに作りました。
星野さんは、銅壺や火鉢の落としのほか、やかん・きゅうす・鍋などを扱っていましたが、銅壺の需要はほとんどなくなり、台東区でただ一人の銅壺作りの職人でした。
完成した銅壺
やかん
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