絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図
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更新日:2024年2月20日
天王寺
平成4年登載
天王寺はもと長燿山感応寺といい、元禄12年(1699)日蓮宗の一派に対する弾圧により天台宗に改宗、のち護国山天王寺と改めました。
来迎図は、臨終の際に阿弥陀如来など聖衆が眼前に現れ、極楽浄土に迎えるという観無量寿経に説く情景を描くもので、浄土信仰の興隆とともに制作され、平安時代に正面坐像系・斜め坐像系が、鎌倉時代に能動的な如来の姿として立像系来迎図が登場、普及していきました。
本図は、縦102.2センチメートル、横43センチメートル。阿弥陀を中心に、向かって左上方から二十五菩薩立像を斜め構図で、顔・手・楽器の細部まで金泥で緻密に描き、向かって右上方に七化仏を配します。肉身部は地蔵菩薩を除き丹の具地に金泥塗。輪郭線は朱で描き、輪郭・衣紋・光背に切金を用い、衲衣は丹の具地に、文様を金泥で描きます。以上の表現から、作者は不明ですが、南北朝時代の制作とわかります。
旧蔵者は当寺第16世住職であり天台教学者として著名な福田尭頴で、明治42年(1879)12月の修理銘があります。尭頴は明治39年、比叡山延暦寺より転住し、その際に本図がもたらされたものであると考えられます。
絹本着色阿弥陀二十五菩薩来迎図
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