銅鐘(長昌寺)
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更新日:2024年2月19日
長昌寺
平成10年登載
長昌寺の銅鐘は、総高147センチメートル。享保5年(1720)に小幡内匠勝行という鋳物師が制作しました。小幡内匠勝行は、他に39点の金工製品にもその名を遺しており、中には旧増上寺徳川家霊廟の6代将軍家宣廟・7代家継廟・9代家重廟に造立された銅灯籠などもあります。しかし、長昌寺銅鐘を含め40点の制作年代は正徳2年(1712)から明和6年(1769)にかかる57年間にも及び、同一人物の遺品と断定することはできません。あるいは、親子2代など、複数の人物の制作とも考えられます。いずれにしても、小幡内匠勝行の名は、将軍家霊廟の灯籠を制作するほどに、当時を代表する鋳物師の一人として知られていたことは間違いありません。
また、銅鐘には長昌寺の歴史を刻んでいますが、その中には次のような伝説もあります。
鎌倉時代後期頃、この寺にはすでに銅鐘がありましたが、隅田川の洪水によってこの銅鐘は河中に沈んでしまい、以来銅鐘が水没したあたりを「鐘が淵」と呼んだというものです。こうした伝説を「沈鐘伝説」といい、全国各地に語り伝えられています。現在、墨田区に遺る「鐘が淵」との関係はともかく、この銅鐘の銘文は、江戸時代にはこの付近にも「沈鐘伝説」が存在したことを教えてくれます。
長昌寺銅鐘は、江戸時代中期の代表的鋳物師の遺品であるとともに、長昌寺の歴史や沈鐘伝説を刻んでおり、今戸付近の歴史を知る上で貴重な文化財です。
銅鐘
沈鐘伝説などを刻む銘文
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