諸願伺届扣(感応寺旧蔵)
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更新日:2024年2月22日
台東区教育委員会
平成27年登載
光照山感応寺は、慶長元年(1596)神田に創建された日蓮宗寺院です。明暦3年(1657)の大火ののち、谷中に移転して、近隣の日蓮宗寺院、長耀山感応寺(現在の天王寺)と区別するため、神田感応寺と呼ばれました。かつての谷中上三崎南町、現在の谷中六丁目に位置します。
本資料一冊は、明治時代に同寺が東京府や下谷区などに提出した文書、約120点の控です。小口には「諸願伺届扣 明治七戌十月ヨリ」と書かれており、内容は明治7年(1874)から同36年にかけて、雇人、住人、役職、境内に関するものなど、多岐にわたっています。当時、次の人物が檀家総代を務めていました。
喜多嶋吉兵衛(下谷区谷中茶屋町)
上山喜兵衛(日本橋区油町)
石井三郎兵衛(本所区本所吉田町)
島田萬右衛門(日本橋区薬研堀町)
石井傳三郎(本所区本所吉田町)
島田彦七(日本橋区本石町一丁目)
(牛込区水道町)
鍋島由兵衛(下谷区車坂町)
(下谷区竹町)
喜多嶋藤吉(下谷区谷中茶屋町)
鍋島彦七郎(神田区今川小路一丁目)
上記のうち喜多嶋吉兵衛・藤吉は、谷中上三崎南町に隣接する谷中茶屋町にあった吉田屋酒店の主人です。なお、明治43年に建築された吉田屋酒店の建物は、昭和61年の改築にともない、道具類・文書類とともに台東区に寄贈され、谷中六丁目から上野桜木二丁目に移築復元されています(台東区指定有形民俗文化財)。
本資料は、役所に提出した文書の控として、同寺で保管活用されましたが、現用期間を過ぎて処分されたものと思われます。経緯は不明ですが、平成22年7月、東京古書会館で開催された和洋会古書展に、本資料一冊が「谷中感應寺届書留」の名称で出品されました。保存すべき資料とみられたため、台東区教育委員会が購入したものです。
本資料は、東京都公文書館が所蔵する明治10年『日蓮宗明細簿』などとともに、明治時代の感応寺を中心とする地域資料として貴重なものです。
諸願伺届扣(感応寺旧蔵)
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