徳川将軍家朱印状
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更新日:2024年2月22日
浅草寺
平成27年登載
徳川家康以来、江戸幕府の歴代将軍は代替わりに際して、武家・公家・寺社等に対して、本領安堵のために朱印状を発給しました(6代家宣、7代家継、15代慶喜は発給していない)。
寺社に出された朱印状は、明治維新後、新政府によって回収されたことから、基本的には伝来していませんが、まれに提出されずに残った事例が知られます。浅草寺には次の4通が伝えられています。
- 徳川綱吉朱印状(貞享2年〔1685〕)縦46.4センチメートル、幅65.0センチメートル
- 徳川吉宗朱印状(享保3年〔1718〕)縦46.5センチメートル、幅65.4センチメートル
- 徳川家重朱印状(延享4年〔1747〕)縦46.4センチメートル、幅65.3センチメートル
- 徳川家慶朱印状(天保10年〔1839〕)縦46.4センチメートル、幅64.5センチメートル
浅草寺は、慶長18年(1613)3月13日、徳川家康から寺領五百石が安堵されました。これ以前、浅草寺は小田原北条氏から四十貫九百文の寺領を安堵されています(『北条家所領役帳』)。貫高と石高には違いがあるので、正確なところは不明ですが、北条家によって安堵された寺領は、江戸時代になってもそれまでと同様に、徳川将軍家によって安堵されたものと考えられます。以来、明治時代まで、浅草寺の寺領は徳川将軍家によって安堵されました。
朱印状の正文が現在まで伝えられている例は少なく、区内においては他例が知られていません。また、浅草寺や台東区の歴史を伝える史料としても重要です。
徳川綱吉朱印状
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