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本寿寺文書

ページID:966888947

更新日:2024年2月22日

本寿寺
平成13年登載

 谷中の日蓮宗寺院、本寿寺には古文書こもんじょが多数所蔵されています。その中でも寺の歴史を語るものとして44点の古文書が登載されました。年代は天保7年(1836)から昭和15年(1940)までで、内容は大きく、1.建物の改築・修復関係、2.当寺の由緒がわかる縁起、3.当寺の僧侶観鳳かんぽうが事件を起こし、その顛末を記録した観鳳一件公用留帳、4.高崎屋との関係をしるしたもの、5.由緒・什物じゅうもつ等書上、の5つに分けられます。

 1を見ると、最も古いものが弘化2年(1845)、新しいものが昭和15年で、本寿寺は100年間に少なくとも5回は改築が行われたことがわかります。当寺の財力がうかがえる史料です。

 2は、はっきりした年代は不明ですが、記述されている内容からおそらく昭和3年以降に記されたもののようです。

 3は、ちょっと変わった史料です。観鳳は、嘉永5年(1852)、住職が留守中に寺に民間人を招き入れ、祈祷をしたという罪状で罰せられます。この史料は事件が発覚した5月3日から、遠島のため出帆しゅっぱんの日が近い観鳳への身の回りの品及び金銭を送ることへの願出が記された翌年の4月4日までの、寺社奉行や町奉行に提出した一連の書類の控えです。寺の歴史を語る上ではちょっと特殊な史料ですが、生きた歴史を物語っています。

 4の高崎屋とは、文京区にあった商家です。本寿寺は当時多大な寄進を受けていました。高崎屋伝兵衛は本寿寺の檀徒であるにもかかわらず妻が病死した折、他の寺院で葬儀を行ってしまいます。このことに対する訴えの記録です。寄進を受けてはいても、厳然げんぜんとした寺院側の態度が見て取れます。

 5は、東京都公文書館に所蔵されている日蓮宗明細簿の下書きと考えられます。本史料中、高崎屋が寄贈した什物は全95項目にも及びます。大商人高崎屋が当寺に財力を投資することを惜しまなかったことがうかがえます。

 以上のように、本寿寺文書は、江戸時代から昭和に至る寺院の歴史、また江戸以来の商家高崎屋と菩提寺の関係を今日に伝える史料です。過去に関東大震災や戦災により多くの文字史料を失った台東区にとって、本史料はとても貴重なものです。

お問い合わせ

生涯学習課文化財担当(生涯学習センター)

電話:03-5246-5828

ファクス:03-5246-5814

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