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矢作り

ページID:146734845

更新日:2024年3月26日

杉山正俊
平成2年指定(同11年保持者死亡により解除)

 弓矢の製作技術は、平安時代中期頃から多くの工夫がなされ、鎌倉時代初期にはほぼ現在と同じような技法が完成したといわれます。

 杉山正俊さんは、明治43年に生まれました。父の徹三さんは、旧水戸藩御用の矢作り職人のもとで修業をした人で、正俊さんは15歳から徹三さんの厳しい指導を受けました。したがって、正俊さんの技術は旧水戸藩御用職人の流れをくむものといえましょう。

 矢は4本を一組として使用しますので、矢作りもこれに倣って、形・重さ・色など全く同じものを4本ずつ製作しなければなりません。中でも工程上、くるまかけと、火入れは難しい作業です。くるまかけは、矢竹を台の上にのせ、手のひらでくるくるまわしながら、小刀で竹の節や芽を削り、矢の本体の形を整える作業です。火入れは、竹を竃の火にとおし、竹のゆがみをなおして直線にするとともに、全体が茶色になるまで焼色をつけます。いずれの作業も、4本の矢の形や色を全く同一とするためにはとても高度な技術を必要とします。

 大正時代までは、都内では30人ほど、区内でも数人の矢師が、その高度な技術を伝えていましたが、台東区では杉山正俊さんお一人でした。


完成した矢

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