菊人形の頭作り
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更新日:2024年3月27日
田口義雄
平成4年指定(同14年保持者死亡により解除)
菊人形は、江戸時代末期の巣鴨の植木屋が、 菊細工と人間そっくりの活人形を組み合わせて、団子坂に進出して興行したのがはじまりです。このときはすぐ廃れますが、明治初年再び団子坂で復活し、明治末年までにぎわいをみせ、庶民の娯楽として欠かせないものでした。その後、活躍の場を両国国技館に移し、場面転換にモ-タ-を使う大仕掛けなものになりました。
菊人形は、人形師・菊師・興行主の三者分担作業で成立します。菊師は胴体の骨組みと菊付けを行い、興行主はプロデューサーとして作業に加わります。人形師は人形の手・足・頭を製作し、その特色は、人間そっくりの造形を持ち、数週間に及ぶ屋外展示に耐え得る頭を作るため、手作業で行う胡粉(貝がらの粉末)塗りの技術にあります。
田口義雄氏の祖父、緑三郎氏は、明治20年代、当時の名人、大柴徳二郎に同行し、浅草から団子坂と反対側の三崎坂上に移り住み、当時最大の植木屋に、一興行約60体の菊人形を提供していました。なお、田口人形店の屋号・面六は、家業として作った神楽面の面と緑三郎の緑(六)を縮めたものです。
田口さんは、明治44年1月27日に谷中で生まれ、大正12年に谷中小学校を卒業後、国技館に出品していた父を師にして、兄とともに修業しました。毎年秋になると、菊人形開催地の福島県二本松などに赴き活躍していました。
菊人形の頭(下町風俗資料館蔵)
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