銅造観音菩薩坐像・銅造勢至菩薩坐像
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更新日:2024年2月19日
浅草寺
平成20年登載
銅造観音菩薩坐像・銅造勢至菩薩坐像は、二尊仏とも呼ばれ江戸時代から注目を集める存在でした。上野国邑楽郡館林大久保村(群馬県板倉町)の高瀬善兵衛直房が奉納したことが蓮弁に刻まれています。銘文によると直房は、かつて奉公した日本橋伊勢町(現・中央区日本橋本町)の米問屋成井家より受けた謝恩として、成井善三郎の菩提を弔うために観音像を、子次郎助の繁栄を祈るために勢至像を造立しました。また安永6年(1777)には、高瀬仙右衛門治賢が破損した天衣、持物の蓮華、石垣などを修理しました(子孫ゑの家乃記)。このことは、観音像前の手水鉢や勢至像の蓮弁に追刻された銘文と一致します。
本像を制作した太田久右衛門藤原正儀は、神田鍋町東横町(現・千代田区鍛冶町2丁目、神田須田町1丁目)に住し、17世紀後期に活躍した鋳物師です。銅造仏像を中心に多数制作したことが知られており、区内には天王寺に元禄3年(1690)銘銅造釈迦如来坐像(平成4年度登載)があります。また、江戸六地蔵を制作した太田駿河守正儀はその子孫にあたると考えられています。
本像は、区内に現存する銅造観音菩薩坐像および銅造勢至菩薩坐像の中では、古いものに属し、ことに江戸を代表する鋳物師の作風を伝えるものとして貴重な遺品であり、江戸時代の鋳物師を考える上で基準となる作例のひとつです。
銅造観音菩薩坐像
銅造勢至菩薩坐像
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