渋沢栄一家墓所
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更新日:2024年2月20日
谷中霊園
令和3年登載
渋沢栄一は、近代日本の資本主義的経営の確立と指導に邁進し、近代日本経済の礎石を築きました。生涯に約500もの企業の設立にかかわり、「日本資本主義の父」とも称されます。
アメリカの南北戦争で活躍したグラントが明治12年(1879)に来日した際に、歓迎式典が行われましたが、栄一はこれを福地源一郎、益田孝らとともに斡旋しました。また、明治23年(1890)、パノラマ興業のために日本パノラマ会社を設立した際には、浅草公園第六区に建設された人造富士の跡地に大パノラマ館を開設しました。さらに、大正天皇の成婚を記念して建設された、わが国で初めての本格的な美術館である表慶館の建設に際しても、明治33年(1900)に皇太子の成婚が決まると(後の大正天皇)、栄一は東宮御慶事奉祝会を設立して、新たに美術館を建設して奉献することを決定しました。
渋沢栄一はさまざまな社会事業や文化事業、民間外交にも積極的に参画し、区内にもそうした活動の場があり、現在までその記憶が継承されているものも多いです。渋沢栄一家墓所は台東区の歴史にきわめて関係の深い人物の墓所であり、史跡として貴重です。
渋沢栄一家墓所には、渋沢家の墓がありますが、そのうち、渋沢栄一および千代・兼子二人の妻の墓3基が台東区史跡として登載されています。
渋沢栄一家墓所
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