河鍋暁斎墓
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更新日:2024年2月20日
正行院
平成6年登載
河鍋暁斎は、幕末から明治時代前半にかけて活躍し、当時一世を風靡した画家です。
天保2年(1831)、下総国古河(現・茨城県古河市)で生まれました。はじめ浮世絵の歌川国芳の門下に入り、のち狩野派に入門し、嘉永2年(1849)修業を終え、洞郁陳之と号しました。安政5年(1858)頃には皮肉や風刺、滑稽味を持つ狂画を描きはじめ、狂斎とも名乗るようになりました。しかし、明治3年(1870)不忍池の料亭で描いた絵が原因で逮捕され、このときより狂を暁に変え、号を暁斎と改めました。
晩年は、根岸(現・荒川区東日暮里)に住み、区内の寺院や料亭に数点作品が残っており、郷土の画家としても大いに評価すべき人物です。明治22年に没し、瑞輪寺塔中正行院に葬られました。
本墓は、自然石を重ねており、一番上の石は蛙をかたどったもので、蛙を殊のほか愛した暁斎らしい墓石といえます。
河鍋暁斎墓
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