徳川家光薨去に伴う殉死者の墓
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更新日:2024年2月20日
現龍院墓地
令和4年登載
徳川家光薨去に伴う殉死者の墓は、慶安4年(1651)4月20日に死去した三代将軍徳川家光に殉じた、堀田正盛、阿部重次、内田正信、三枝守恵とその家臣らの墓です。死去してから埋葬までの経過については未詳ですが、堀田正盛以下4名とその家臣らは、現在の現龍院墓地に葬られました。なお、妙道院(栃木県日光市)には「釈迦堂殉死の墓及び譜代家臣の墓」(栃木県指定史跡)があり、堀田正盛、阿部重次、内田正信、三枝守恵、奥山安重の供養塔が設けられています。
殉死は、主君や夫などの死を追って臣下や家族などが自死することです。日本の封建社会、特に武家社会では、主君の御恩に対して家臣が献身的忠勤を励むという、主従道徳の確立によって発生したと考えられ、死去した主君に殉じて切腹する、追腹、供腹の風習がありました。日本の武家社会において、主君の御恩に対する家臣の献身的忠勤をあらわす遺風として、江戸時代にも根強く残っていました。しかし、その是非は度々議論され、堀田正盛等の殉死を契機に、殉死は「不義無益」であるとして正式に禁止されました。
本墓所群は、江戸時代初期における政治体制の変革や、武士の道徳的意義の変化を理解する上で貴重です。また、区の歴史、さらに日本近世の政治史や思想史を考える上でも重要です。
徳川家光薨去に伴う殉死者の墓(阿部重次墓)
徳川家光薨去に伴う殉死者の墓(堀田正盛墓)
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