震災復興公園の成り立ち
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更新日:2023年9月14日
関東大震災の発生と帝都復興計画による公園整備
大正12年(1923)9月1日午前11時58分、関東地方にマグニチュード7.9と推定される大地震が発生しました。この地震により、家屋の倒壊や火災などによる大きな被害が出ました。当時の東京市においては、地震発生直後から各所で発生した火災により、焼失面積は市域全面積の43.6%に及んだといわれます。
震災後、復興事業を担う帝都復興院が設立され、内務大臣を務めていた後藤新平が総裁に就任し、後藤が中心となって帝都復興計画が作成されました。本計画をもとに、主に焼失区域において、街路、橋梁、河川、運河、公園及び土地区画整理等の事業が行われ、都市基盤施設が整備されていきました。特に地震によって発生した火災による被害は甚大であったものの、公園緑地や広場が焼け止まりとして機能したことを受け、公園の設置の重要性が高まりました。帝都復興計画によって設置された公園は「震災復興公園」といわれ、国の計画による三大公園(浜町公園、隅田公園、錦糸公園)と、東京市の計画による52か所の小公園が設置されました。
台東区においても、火災による焼失面積は区域全面積の約48%に達し、旧浅草区では浅草寺境内と一部地域を除く約96%が焼失するほどの甚大な被害を受けました。しかし、帝都復興計画により、江戸期の町割を活かしながら都市基盤施設が整備され、その骨格が現在の街並みにも活かされています。
復興大公園(三大公園)
大公園は周辺環境を考慮した配置とし、東京市の商工業中心地域に浜町公園(中央区日本橋浜町2丁目59番1号)と錦糸公園(墨田区錦糸4丁目15番1号)、隅田川の両岸に隅田公園(台東区浅草7-1他)の計3か所が設置されました。面積はいずれも4万数千平方メートル以上の規模があり、園内周囲を緑陰樹で囲み、散策や休養をしやすいように整備されました。小公園にある施設に加え、園内の一角に運動施設(水泳場、競技場、運動場等)も設置され、広く一般に利用される公園でした。
隅田公園全体平面図(上:台東区側、下:墨田区側)
資料提供:(公財)東京都公園協会
隅田公園
園路
台東区には三大公園の一つである隅田公園があります。隅田川を挟んで浅草(台東区側)と本所(墨田区側)の両岸に広がり、距離約1,300mにわたる日本初のリバーサイドパーク(臨川公園)です。帝都復興計画により、本所側は墨堤の桜並木を復活させ、その間に園路を設けることで、四季を通じて墨堤の面影を懐かしむことができる場所になりました。また、旧徳川公爵邸跡を含む日本庭園も整備されました。浅草側は墨堤の桜並木に対して柳並木を植栽することで、休養や散策ができる公園として整備されました。現在、台東区側に柳並木の面影は残されていませんが、遊具広場や台東リバーサイドスポーツセンターなど、今も開設当時と同等の機能を有しており、桜の名所として春は多くの花見客で賑わいを見せる公園となっています。
プールの飛込台
児童の遊び場
山谷堀と隅田川の合流地点(舟溜り)
上記は全て当時の公園写真(台東区側の隅田公園)
資料提供:「復興公園写真(部分)」【東京都立図書館】
復興小公園
小公園は、不燃化・耐震化された鉄筋コンクリート造の小学校に隣接して52か所に整備されました。近隣住民の憩いの場や地域コミュニティの中心、地域における防災拠点のほか、校庭の延長や教材園等の役割を担うものでした。面積は約3,000平方メートルを標準として、小学校の児童数や学校敷地の広狭等を考慮して配置されました。
園内の一角は児童の遊び場とし、滑り台、ブランコ、ジャングルジム、砂場等が設置されました。そのほか、休憩所、日除棚(藤棚)、ベンチ、照明灯、飲用水栓、壁泉、トイレ、管理人詰所等が適所に配置されました。小公園は、その公園が立地する周辺地域の利用を想定したものであり、平日昼間は主に児童の運動や遊びで利用されましたが、それ以外は大公園と同様に、住民の休養、散策、催事等で利用されました。また、公園の管理運営においては、隣接する学校や町会の支援がありました。
※時代の経過とともに3か所が消滅し、当時は52か所ありましたが、現在は49か所が残されています。
開設当初の公園平面図(小島公園)
資料提供:(公財)東京都公園協会
台東区の復興小公園
台東区内の小公園は15か所あり、その数は区立公園の約3割を占めています。改修や老朽化した施設の更新を重ねてきており、ほとんどの公園で開設当初の施設や意匠を見ることはできませんが、広場を中心として周囲に日除棚(藤棚)や遊具コーナー、植栽を配する基本的な施設配置は、多くの公園で継承されています。隣接する小学校校庭とは、大型の門扉等で仕切られ、公園広場との一体利用を考慮した空間となっているところもあります。
改修においては、住民との話し合いのもと、災害用トイレやかまどベンチなどの設置による防災機能の強化を図り、隣接する学校や住民が管理する花壇を設置するなど、地域コミュニティの中心や地域の防災拠点としての役割を果たしています。
当時の西町公園
当時の精華公園
当時の金杉公園
資料提供:(公財)東京都公園協会
番号 | 公園名(よみがな) | 所在地 | 面積 | 分類 |
1 | 柳北公園(りゅうほく) | 浅草橋5丁目1番35号 | 2,982平方メートル | 小公園 |
2 | 東盛公園(とうせい) | 三ノ輪1丁目23番2号 | 3,777平方メートル | 小公園 |
3 | 千束公園(せんぞく) | 浅草4丁目24番7号 | 2,221平方メートル | 小公園 |
4 | 西町公園(にしまち) | 東上野2丁目23番3号 | 2,936平方メートル | 小公園 |
5 | 石浜公園(いしはま) | 清川1丁目14番21号 | 2,972平方メートル | 小公園 |
6 | 精華公園(せいか) | 蔵前4丁目15番9号 | 2,888平方メートル | 小公園 |
7 | 玉姫公園(たまひめ) | 清川2丁目13番18号 | 3,504平方メートル | 小公園 |
8 | 山伏公園(やまぶし) | 北上野2丁目9番7号 | 1,461平方メートル | 小公園 |
9 | 松葉公園(まつば) | 松が谷1丁目12番6号 | 2,972平方メートル | 小公園 |
10 | 御徒町公園(おかちまち) | 台東4丁目13番3号 | 3,312平方メートル | 小公園 |
11 | 金杉公園(かなすぎ) | 下谷3丁目5番12号 | 1,679平方メートル | 小公園 |
12 | 小島公園(こじま) | 小島2丁目9番4号 | 2,796平方メートル | 小公園 |
13 | 金竜公園(きんりゅう) | 西浅草3丁目25番7号 | 2,645平方メートル | 小公園 |
14 | 富士公園(ふじ) | 浅草4丁目47番2号 | 2,406平方メートル | 小公園 |
15 | 田原公園(たわら) | 雷門1丁目5番15号 | 1,798平方メートル | 小公園 |
16 | 隅田公園(すみだ) | 今戸1丁目1番、浅草7丁目1番、花川戸2丁目1番、花川戸1丁目1番 | 107,155平方メートル | 大公園 |
※面積は小数点以下を四捨五入
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