銅造宝篋印塔(浅草寺)
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更新日:2024年2月20日
浅草寺
平成23年登載
総高は730センチメートル、塔高は520センチメートルあります。銅製、鋳造の宝篋印塔で、その形状は江戸時代中期以降に流行した、笠部を屋蓋形とした宝篋印塔です。
本塔は宝暦11年(1761)9月に日参講、塔婆講などを中心とする多くの信徒の助力によって建立されました。寄進者は700名を超え、石造框の四周に刻まれています。寄進者は現在の台東区・千代田区・中央区・文京区・墨田区の範囲に広がり、中には札差の伊勢屋四郎左衛門等「十八大通」と呼ばれた人々や、俳優の中村鯉長、中村秀鶴等の名も見えます。このことから、本塔の造立は浅草寺を挙げた一大事業であったことが推測されます。
本塔を制作した西村和泉守藤原政時は、神田鍛冶町1丁目に住した鋳物師で、江戸時代前期から大正時代まで11代にわたって活躍しました。本塔を制作したのは、その年代から4代西村和泉守(安永4年[1775]没)と推定されます。作例は40例以上が知られており、妙経寺(元浅草)の銅鐘(宝暦13年[1763]銘)は、平成10年に台東区区民文化財台帳に登載されています。
安政2年(1855)の震災で被災し、破損したままとなっていましたが、明治40年(1907)、日露戦争凱旋記念のために再建されました。
本塔は区内に現存する銅造宝篋印塔の中でも最大のもので、近世中期の鋳物師の活動や鋳造技術を知る上でも貴重な遺品のひとつであり、区の歴史を知る上でも貴重です。
銅造宝篋印塔
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