銅造宝篋印塔(本龍院)
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更新日:2024年2月19日
本龍院(待乳山聖天)
平成14年登載
宝篋印塔は平安時代頃から宝篋印陀羅尼経という経典に基づく供養塔として造立が行われています。笠の四隅に隅飾り突起を設ける点が他の石塔と大きく異なる点です。室町時代以降は供養塔だけでなく、墓標としての造立も行われるようになりました。形態的にも変化が起こり、従来の隅飾り突起が笠側面から上方へ垂直に延びているのに対し、時代が降るとともに次第に外側へ反るものが現れます。近世初期になると隅飾りの反りは前代以上に甚だしくなり、加えて相輪に装飾が施されるようになります。しかし、隅飾りつきの宝篋印塔は、江戸時代に入ると次第に造立されなくなり、江戸時代中ごろには、替わって塔身の上に屋根型の笠を付けた宝篋印塔が造立されるようになります。本塔も江戸時代の中期以降に流行した屋根型の笠をもつ宝篋印塔です。
銘文は本塔基礎西面に天明改元辛丑歳/五月大吉祥日/待乳山/本龍院現住/恵晃代/御鋳物師/西村和泉守作とあり、東面には16名の奉納者名が刻まれており、蔵前の札差等によって奉納されたことがわかります。作者の西村和泉守は、江戸時代から大正時代にかけて11代にわたって鋳物師を務めた家で、本塔の作者は紀年銘から5代西村政平にあたります。
本龍院の銅造宝篋印塔は、総高163.5センチメートル。本宝篋印塔は、全国的にも類例の少ない銅造の宝篋印塔で、とくに台東区内では、造立当初からほぼ完形として遺存する唯一の事例です。各部の装飾は優れており、鋳物師の名家、西村家5代政平の高い技能を知ることができます。また蔵前に店を構えた札差の奉納物としても貴重な歴史資料です。
銅造宝篋印塔
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