上野忍岡遺跡群
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更新日:2010年12月1日
台地上の上野公園から不忍池にかかる遺跡です。この地域は、古代には豊島郡荒墓郷に属し室町時代の板碑も確認されています。江戸時代初期に大名屋敷、寛永2年(1625)には寛永寺の境内となりました。
都立上野高等学校構内の発掘で護国院の旧墓所が明らかとなり、東京国立博物館構内では、徳川将軍家の霊廟へ通じる参道や広場、本坊が発見され、参道からは江戸時代初期の楽焼香炉も出土しています。国立西洋美術館から上野駅前までには徳川御三卿のうち清水・一橋家の墓所などが確認されました。江戸時代以前としては、縄文から平安時代の住居跡・古代の寺院跡など、また明治時代の東京音楽学校(奏楽堂)の煉瓦基礎やガラス瓦が発見されています。
東西自由通路地点発見の焼失住居跡
野忍岡遺跡群発見竪穴住居跡
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