扁額作り
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更新日:2024年4月3日
坂井保之
平成16年指定
扁額は古代中国の宮廷や廟祠などに、その名称を記した木札を掛けたのが始まりとされます。日本では飛鳥時代に宮殿仏寺の扁額が伝来し、平安時代後期には、宋代貴族の室内扁額が伝来しました。同時に扁額は、日本の建築と生活に適するように改変され、鎌倉時代以後は室内外の扁額が発展しました。
看板は商人や職人などの店に掲げて屋号・商品などを広告するものです。すでに奈良・平安時代には都の東西市で、見世棚に標を立てて、名を記したものがありました。板に書いて長年の使用に耐えられるようにしたのは、室町時代末からといわれています。江戸時代になって、城下町や三都の店舗商業が発達すると、看板は最も有力な宣伝手段として様々な工夫が凝らされるようになりました。
これらの扁額や看板の製作が専業化するのは、その需要が増大した江戸時代中期以降のことです。また専業化と同時に作業工程の細分化も進み、文字彫刻を専業とする人々は額師、額匠と呼ばれました。
坂井保之さんは、昭和33年に中学校を卒業するとすぐに、父与三次郎氏に師事し、同37年、福善堂三代目を継承しました。戦後、木彫看板の需要は極端に減少しましたが、近年では素材のもつ柔らかみや、懐かしさを感じさせる風合いなどが好まれ、木彫看板の需要は徐々に高まってきています。しかし、同時に製作工程の機械化も進みました。とくに文字彫刻の機械化は、均等な彫刻を大量に短時間で行うことができ、多くの職人が機械化を導入しました。ところが坂井さんは、手彫りの不均一さが生み出す風合いや、文字に合わせた彫刻の変化を機械で表現する事はできないため、すべての彫刻を手彫りで行うこととしています。
坂井さんは、江戸時代の額師から連綿と継承されてきた彫技を今日に体現する事ができ、一貫して従来の製作技法を堅持しつづけている人物として貴重な存在です。
坂井さん
マネキ・扁額など
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