聯
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更新日:2024年2月20日
永称寺
平成14年登載
酒井抱一(1761~1828)は、姫路藩主酒井家の次男でしたが文学・芸術を好み、37才で出家して文人生活に入りました。光琳派の画家であり、俳人としても著名な人物です。文化6年(1809)から死去するまで下谷金杉大塚村(現・根岸5丁目)に居住しました。この住居を雨華庵といいます。
雨華庵の近所の永称寺とは交際があり、この聯だけでなく、抱一筆の絵画・俳書が永称寺に現存しています。
聯とは書画を記して飾りとする細長い板で、柱や壁に2枚一対で掛けられます。本聯は2枚一対ではなく、一枚の板の表裏両面に漢詩を記した珍しいものです。時節に応じて片面ずつを利用したのでしょう。また、大きさも寺院に掲げてあるものと比較すると小さく、縦147.3センチメートル、横21.0センチメートル、厚さ3.0センチメートルです。これらのことから考えると、この聯は抱一が雨華庵で使用していたものが、後に永称寺に伝わったものと考えられます。
聯には、表面に不覚年命日夜去(年命の日夜に去ることを覚えず)裏面に自作自励求常住(自作自励して常住を求めよ)と彫刻されています。人間は忙しく過ごすうちに、一生を終えてしまう。自ら努力して一つの地に居を求めよ、という意味です。雨華庵で充実した時間を過ごそうとした抱一の心構えをうかがうことができます。
抱一の筆による聯は他に類例がなく、なおかつ一枚の木材の表裏に彫刻し片面ずつを利用するという珍しい形態の貴重な書跡です。また、根岸に居住した抱一と永称寺とのつながりを示唆し、区の文化史を考える上でも欠かせない作品です。
裏面
表面
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