鰐口(千手院)
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更新日:2024年2月20日
千手院
令和4年登載
千手院は、真言宗豊山派に属する寺院です。『新編武蔵風土記稿』では禅海を開山としますが、明治10年(1877)の『明細簿』では開山年月、開基姓名、開祖履歴など一切不明としています。『下谷区史』では、快実法印を開山としています。元禄13年(1700)、庫裏・客殿・五智堂などが建立されましたが、享保2年(1717)に五智堂を残して伽藍の大半を焼失しました。その後も伽藍の再建と焼失を繰り返し、現在の本堂と庫裏は大正15年(1926)に建築されました。
本鰐口は、銅製、鋳造、両面に撞座がある両面式の鰐口で、大きさは、面径が34.7センチメートルあります。
本鰐口は、銘文によると、文政8年(1825)に伊勢屋彦助が鋳造したものです。厄除け弘法大師の遷化を記念して、豊嶋町三丁目(千代田区東神田二丁目)の若林長兵衛が願主となって、同年9月21日に千手院へ奉納しました。現在は五智堂の前にかけられています。
伊勢屋彦助は、江戸大門通り(中央区)に住居した、近世後期(18~19世紀)の鋳物師です。伊勢屋は屋号と考えられ、同時期に満之助や長兵衛らがいました。
区内に残る近世後期の鰐口であり、当該期の鋳物師の活動や鋳造技術を知るうえで重要な遺品です。また、江戸時代の資料を失っている当院や根岸の歴史を考えるうえでも貴重な資料です。
鰐口(千手院・表面)
鰐口(千手院・裏面)
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