鰐口(寛永寺)
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更新日:2024年2月20日
寛永寺
平成21年登載
鰐口は、寺社の軒先に吊るされた梵音具(楽器)で、形が鰐に似ていることからその名があります。青銅製、鋳造、両面に撞座がある両面式の鰐口で、大きさは、面径が55.1センチメートルあります。
一方の面には下記のような銘文が左右に振り分けて陰刻されています。
「元和三年丁巳三月吉日」
「御大工 椎名伊□吉次」(潰されている)
目の突出が強く、近世の鰐口の特徴をよく表しています。
本鰐口は、元和3年(1617)に椎名伊予吉次が鋳造しました。寛永寺にもたらされた経緯は明らかでありませんが、清水観音堂の鰐口として使用されていました。鼓面には弾痕が4ヶ所残されています。これは彰義隊の戦い(上野戦争)の直後に、官軍が銃撃したものと伝えられています。銃撃の人物には二説あり、ひとつは中村半次郎(桐野利秋)とする説、もうひとつは伊集院兼寛と村田新八とする説です(『上野寛永寺展』)。本鰐口は、区内に残る近世の鰐口として古いものに属し、近世初期の鋳物師の活動や鋳造技術を知るうえでも重要な遺品のひとつです。また、上野の歴史を今に伝える貴重な資料です。
鰐口(寛永寺)
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