旧感応寺(天王寺)富興行関係史料
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更新日:2024年2月26日
天王寺
平成5年登載、指定
天王寺は、かつて感応寺という日蓮宗の寺院でしたが、元禄12年(1699)天台宗に改宗、天保4年(1833)天王寺と改めました。
この感応寺では天保13年まで、現代の宝くじのル-ツ・富突を催し、谷中感応寺の富突といえば江戸市民の人気をもっとも博したものでした。この天王寺には富突の実態を克明に記録した、次の11点の史料が遺されています。
富御祝儀渡帳(1冊、文化6年(1809)以後の成立)
(富興行)定書〈1枚、天保4年(1833)から同5年)
当山帰宗一件記〈1冊、嘉永2年(1849)成立)
富興行一件記〈3冊、嘉永2年(1849)成立)
当時有形絵図面〈1枚、嘉永2年(1849)成立)
奉歎願口上覚〈1冊、嘉永3年(1850)成立)
奉伺口上覚〈1冊、嘉永4年(1851)成立)
突富興行願諸用記〈1冊、安政3年(1856)成立)
感応寺領坪数并持添地其外坪数訳書之写〈1冊、享保6年(1721)の記録を江戸末期~明治時代に写したもの)
感応寺領坪数并持添地其外坪数訳書〈同前)
保存箇所并堂宇再建見込書(1冊、明治22年成立)
実は、これらの史料が発見されるまで、感応寺はおろか、江戸時代の富突の実態はあまり明らかではありませんでした。しかし、天王寺の史料を解読してみますと、富興行のありさまが細部にわたって理解できます。
たとえば従来の定説では、幕府公認の富興行は享保15年(1730)京都仁和寺が江戸音羽護国寺境内で行ったものが最初と考えられてきましたが、天王寺の史料によって、それより30年前の元禄末年(1700年頃)には感応寺で興行していたことがわかりました。
その他、富突の開催をめぐる感応寺と幕府の交渉の有様、富札1枚の値段が庶民にとって高額だったことから生じたヤミ行為の顛末、あるいは富突に使用する箱・札・錐などの道具の寸法といった細かいことまで、様々な事実が明らかとなっています。
天王寺所蔵の11点の富興行関係史料は、単に富突だけでなく、江戸の風俗・文化を知る上でも、きわめて貴重な史料です。
富興行一件記より(幕府公認の富興行開始年代について、従来の定説を覆す文面)
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