台東区名誉区民
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更新日:2023年12月15日
昭和32 年4月、台東区発足10 周年を機に「東京都台東区名誉区民条例」を制定しました。
公共の福祉の増進、学術・技芸の進展に多くの功績を残された方々に対し、名誉区民の称号を贈り、長くその栄誉を称えます。
横山 大観(よこやま たいかん)
横山大観
昭和32年5月6日推戴。
本名 秀麿。明治元年9月18日生まれ。近代日本画壇の巨匠。明治30年、東京美術学校(現東京藝術大学)助教授となったが、1年で職を辞し、師岡倉天心が創設した日本美術院に入り、菱田春草、下村観山とともに日本画の革新運動を起こした。昭和12年、第1回文化勲章受章。日本美術院会員。代表作は「無我」「瀟湘八景」「生々流転」など。昭和33年2月26日逝去。
平櫛 田中(ひらぐし でんちゅう)
平櫛田中
昭和36年11月1日推戴。
本名 倬太郎。明治5年6月30日生まれ。わが国彫刻界の最高峰。帝室技芸員、芸術院会員、東京藝術大学教授等を歴任。昭和29年文化功労者、昭和37年文化勲章受章。代表作は「五浦釣人」「鏡獅子」「転生」など。昭和54年12月30日逝去。
大谷 米太郎(おおたに よねたろう)
大谷米太郎
昭和36年11月1日推戴。
明治14年7月24日生まれ。わが国経済界の重鎮。富山県から単身上京、大谷重工業を興し、取締役社長に就任。後に大谷興行、大谷鉱業、星製薬等事業を拡張し、大谷グループの統帥として活躍。また、地元にあっては、浅草観光連盟会長等を歴任、台東区の興隆に貢献された。昭和43年5月19日逝去。
朝倉 文夫(あさくら ふみお)
朝倉文夫
昭和36年11月1日推戴。
明治16年3月1日生まれ。わが国彫塑界の最高峰。帝室技芸員、芸術院会員、東京美術学校(現東京藝術大学)教授等を歴任。昭和23年文化勲章受章、昭和26年文化功労者。代表作は「墓守」「水の猛者」「和気清麻呂像」など。昭和39年4月18日逝去。
上條 貢(かみじょう みつぎ)
上條貢
昭和50年6月28日推戴。
明治27年11月10日生まれ。大正10年、長野県から上京、浅草区金竜小学校に奉職。後に弁護士を開業、以降政治を志す。昭和9年浅草区会議員当選、東京市会議員、東京都議会議員等を歴任。昭和32年東京都議会議長、全国都道府県議会議長に就任。昭和38年台東区長に就任後昭和50年4月まで3期12年にわたり、台東区の発展に貢献された。昭和52年2月6日逝去。
杉山 寧(すぎやま やすし)
杉山寧
平成5年11月1日推戴。
明治42年10月20日生まれ。わが国日本画壇の代表的画家。東京美術学校(現東京藝術大学)在学中から帝展に入選するなど、昭和初期の日本画壇に若くして確固たる地位を築く。昭和32年日本芸術院賞受賞、昭和49年文化勲章受章、文化功労者。
代表作は「海女」「孔雀」「荃(せん)」など。平成5年10月20日逝去。
平山 郁夫(ひらやま いくお)
平山郁夫
平成7年9月28日推戴。
昭和5年6月15日生まれ。現代日本画壇の第一人者。日本美術院評議員、東京藝術大学教授、日本美術院理事、東京藝術大学美術学部長を歴任し、平成元年、東京藝術大学第6代学長に就任。平成3年フランス政府よりコマンドール勲章授与。平成5年文化功労者、平成10年文化勲章受章。平成13年東京藝術大学学長に再選。平成17年12月東京藝術大学学長退任。代表作は「仏教伝来」「入涅槃幻想」「仏説長阿含経巻五」など。平成21年12月2日逝去。
内山 榮一(うちやま えいいち)
内山榮一
平成19年10月21日推戴。
明治44年11月25日生まれ。昭和12年台東区(当時浅草区)で税理士を開業。昭和26年台東区議会議員に当選。副議長、議長等を歴任。昭和42年東京都議会議員に当選。公害首都整備委員会委員長等を歴任。昭和50年公選復活後初の区長として台東区長に就任後平成3年4月まで4期16年にわたり、台東区の発展に貢献された。平成24年4月10日逝去。
池波 正太郎(いけなみ しょうたろう)
池波正太郎
令和5年12月15日推戴。
大正12年1月25日生。わが国時代小説の第一人者。上野・浅草で幼少期・青年期を過ごし、昭和21年東京都職員となり台東区役所ほかに勤務。江戸の下町を舞台にした数々の傑作を発表し続け、絶大な人気を博す。昭和35年「錯乱」で直木賞受賞、昭和52年吉川英治文学賞受賞、昭和61年紫綬褒章受章。自筆の原稿や絵画、生前の愛用品等を区に寄付。平成13年区が池波正太郎記念文庫を開設。代表作は「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」など。平成2年5月3日逝去。
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