喚鐘(護国院)
ページID:155120838
更新日:2024年2月20日
護国院
令和5年登載
護国院は天台宗に属する寺院で、東叡山が開山した寛永2年(1625)に、その第一の子院として生順が開基しました。同7年には大規模な釈迦堂が建立され、護国院は別当寺としてその管理運営を担いました。この釈迦堂は元禄11年(1698)に根本中堂が建てられるまでは、東叡山の総本堂として、重要な仏事を執行する場となりました。創建当初は鶯谷周辺に位置していましたが、昭和2年(1926)に改築され、現在地へ移転しました。
本喚鍾は銘文によると、宝暦7年(1757)に西村和泉守が鋳造したものです。さらに、もとは徳川家康の使用していた陣鐘が念仏勤行の法器として天海に与えられ、さらに天海から護国院開基の生順に与えられましたが、宝暦年間にひびが生じたため、当院10代の周順の代に改鋳されたといういわれが残っています。大きさは、総高が83.6センチメートル、口径が45.8センチメートルあります。
本喚鍾を鋳造した西村和泉守は、神田鍛冶町一丁目に住居した鋳物師で、江戸時代前期(延宝年間(1673~81)頃)から大正時代までの約250年間、11代にわたって活躍しました。その年代から、本喚鍾を鋳造したのは、3代西村和泉守(明暦8年(1758)12月晦日没)である可能性が高いです。
本喚鍾は近世に活躍した鋳物師の活動や製造技術を知るうえで重要です。また鋳造のいわれは当院建立時にさかのぼるもので、当院の歴史を考えるうえでも重要な資料です。
喚鐘(護国院)
お問い合わせ
生涯学習課文化財担当(生涯学習センター)
電話:03-5246-5828
ファクス:03-5246-5814