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絹本墨画著色髑髏図

ページID:587735834

更新日:2024年2月20日

臨江寺
平成13年登載

 作者は京都の画家伊藤若沖じゃくちゅう(1716~1800)。落款・作風から比較的若い頃の作品とみられます。大きさは縦102.5センチメートル、横52.6センチメートル。
 本図は髑髏2体を、輪郭線を描かず、胡粉とわずかな朱、墨の濃淡で写実的に表現しています。2体の髑髏は向きが異なるだけで、左頬骨の虫食いに似た亀裂の位置まで同一です。明らかに異なるのは、向かって左側は上あご前歯を2本、右側には3本を描いている点です。おそらくモデルとなる髑髏が1点しかなかったのでしょう。
 画面上方に「髑髏法界 法界髑髏 佛祖不會 露柱點頭」という本画の賛が墨書で書かれています。-髑髏はそのままが大宇宙(法界)であり、宇宙は髑髏に集約される。こうした真理は優れた禅僧(佛祖)でも会得することはできない。露柱(無常)だけがわかり得る(點頭 点頭、うなずくの意)ことである。-わかったようなわからないような賛ですが、内容から、本画は仏教思想を示現したものと思われます。賛者の笠峰懶杜多かさみねらいずだは臨済宗の僧、桂洲道倫けいしゅうどうりんのことです。道倫は他にも2点若沖画に着賛しており、2人は親しい間柄であったことがうかがえます。
 髑髏というと現代人は眉をひそめがちですが、前近代までは、飢饉や疫病で埋葬されずに遺骸を捨て置かれた場合も多く、髑髏は珍しいものではありませんでした。風雨にさらされた髑髏を野晒しと呼び、仏教的モチーフとしてよく図像化されました。
 本図を所蔵している臨江寺は京都大徳寺の末。本図の伝来については明らかではありませんが、京都在住である作者の若沖が、臨済宗寺院の住職と交流が深かったことから、当寺の本山、大徳寺経由で伝わった可能性が考えられます。関東にある若沖の作品は珍しく、貴重なものです。


絹本墨画着色髑髏図

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